はじめに

妊娠・授乳期の薬物療法では “飲まないリスク” と “飲むリスク” を天秤にかける必要があります。しかし添付文書は「慎重投与」「有益性投与」など曖昧な表現が多く、新人薬剤師にとっては判断のハードルが高いのが現実です。本記事では 5 ステップの判断フロー と Relative Infant Dose(RID)計算のコツ を中心に、現場で即使える情報源とケーススタディをまとめました。
1. 判断フローを頭に入れる

図のとおり、判断は次の 5 段階で行います。
- 患者背景の確認(妊娠週数・授乳児月齢・基礎疾患)
- 添付文書・インタビューフォームで禁止・注意を一次スクリーニング
- 公的データベース検索(国立成育医療センター、LactMed など)
- 薬物動態パラメータの定量評価(RID < 10 % が大まかな安全域)
- 代替薬提案や服薬タイミング調整を医師と共有
このフローを守れば、多くの薬で「授乳を中断せず治療継続できるか」を論理的に説明できます。
2. 妊婦への安全性指標を押さえる

- FDA 旧カテゴリーと PLLR
2020 年以降は PLLR (labelling rule) が国際標準。催奇形性・胎児毒性・分娩影響を分けて記載するため、該当項目を丁寧に読む。 - 添付文書の「禁忌」「慎重投与」欄
妊娠期の禁忌はほぼ Class X に相当する。ACE 阻害薬・ARB は胎児腎不全報告多数のため原則禁忌。
3. 授乳婦の薬物動態と RID 計算
3-1 乳汁移行を決める 4 因子
- 分子量(300 Da 未満で移行しやすい)
- 脂溶性(高いほど移行↑)
- タンパク結合率(低いほど移行↑)
- pKa(弱塩基性薬は乳汁に濃縮しやすい)
3-2 RID 計算例(ベニジピン 4 mg 1 日 1 回)
項目 | 数値 | 備考 |
母乳中平均濃度 | 5 ng/mL | 文献値 |
1 日哺乳量 | 150 mL/kg | 標準 |
乳児曝露量 | 0.00075 mg/kg/日 | 計算 |
母体投与量 | 0.2 mg/kg/日 | 体重 60 kg |
RID | 0.38 % | 10 % 未満で安全域 |
RID(%)
=(母乳中濃度 [m g/mL] × 1 日母乳摂取量 [mL/kg]) ÷ 母体投与量 [m g/kg] × 100
- 母乳中濃度:薬が母乳中にどれだけ溶け込んでいるか
- 1 日母乳摂取量:乳児が 1 日あたりに飲む母乳量(標準値 150 mL/kg)
- 母体投与量:母親が 1 日あたりに投与される薬量(体重換算)
ベニジピンのRID計算例として以下のようになります。
母乳中濃度 5 ng/mL(=0.000005 mg/mL)× 1 日哺乳量 150 mL/kg = 0.00075 mg/kg/日。
母体投与量 0.2 mg/kg/日 で割り、100 を掛けると RID は 0.38 %。
10 % 未満なら多くの薬で「授乳継続可」と判断する目安になりますが、10 % ルールはあくまで目安。シクロフォスファミドなど細胞毒性薬は 1 % 以下でも授乳禁忌となるため薬理作用も確認します。
4. 主要データベースの活用術

リソース | 特徴 | 使い方のコツ |
国立成育医療センター「授乳中安全な薬リスト」 | 約 800 成分を A–D に分類 | 国内製品名でも検索可。年 1 回更新を確認。ncchd.go.jp |
妊娠と薬情報センター | 電話・メール相談窓口 | 判断保留時の“セーフティネット” |
LactMed® | RID・母乳中濃度・代替薬を網羅 | スマホ版を常備し、現場で即検索。 |
e-Lactancia | 4 段階のリスク評価 | ハーブ・ワクチン情報も豊富 |
Briggs Drugs in Pregnancy & Lactation, 12th ed. | 最新論文を毎版アップデート | 電子版なら全文検索が便利。英語ができなくても電子版ならDEEPLなどの翻訳アプリを利用することも可能 |
5. ケーススタディで実践力アップ

ケース 1:コニール®(ベニジピン)+授乳
- 添付文書:授乳「慎重投与」
- LactMed:データ 1 症例、RID < 1 %
- 判断:継続可。授乳直後に服用 ⇒ 次哺乳まで 2 h 以上あけ血中濃度ピーク回避
- 指導メモ:眠気・顔紅潮など副作用が母児で起きないかフォロー
ケース 2:ARB/ACE 阻害薬+妊娠初期
- 添付文書:禁忌。胎児腎形成障害・羊水過少報告多数。
- 代替:メチルドパ、ラベタロール、ヒドララジンなど妊娠高血圧既承認薬
- 指導メモ:代替薬変更後も血圧管理表を共有し、妊婦健診ごとに副作用聴取
6. 患者説明とチーム連携のポイント
- 「飲まないリスク」も同時提示—高血圧未治療での子癇・脳症リスクなど。
- RID 数値を示し視覚化—母親の不安を定量データで払拭。
- 医師と情報共有—判断根拠(RID、文献 URL)を添付し処方提案すると信頼度向上。
まとめ――“3 S” で迷わない

- Screen:添付文書+公的 DB で一次スクリーニング
- Score:RID・半減期を定量評価
- Share:迷ったら専門機関と情報共有
この 3 S を習慣化すれば、新人薬剤師でも妊娠・授乳期の服薬相談に自信を持って対応できます。記事内の判断フロー図と RID 計算例をプリントして調剤室に貼るだけでも、現場の安心感は大きく変わるはずです。
コメント